「ゲストハウスって何ですか?」旅行経験ゼロの人がバックパッカー宿に就職した話。

私は2015年12月~2020年5月末までの約4年半、とあるゲストハウスに勤めていました。

全国に最大12店舗を擁していたゲストハウス界では割と大きい会社で(ここまで言ってわかる人もいるかも)

そのうち合計4店舗で勤務したことがあります。

ゲストハウスでの経験は私に多大なる影響を与え、価値観を根底から変えられました。

たとえば私は決して最初から今のように旅好きだった訳ではありません。

ゲストハウスで働く以前、私の旅行といえば両親や友人の後ろをついて行くだけ。

泊まるのはゲストハウスではなくいつもホテル。

好奇心よりも慣れない環境への恐怖が常に先行して、旅=疲れるものだとニガテ意識を持っていました。

私が通っていた大学はCA輩出人数で全国トップクラスの国際系だったのですが

「語学は勉強したいけど海外に行きたいとは思わない」などと発言し

お高く止まっていた22歳の私がどうしてゲストハウスに就職することになったのか?

についてお話をしたいと思います。

日本酒専門店でフリーター、行きつけのバーとの出会い

大学卒業後、瀬戸内海に浮かぶ人口170人のとある島に移住を企てていましたが

持病の脳内出血が再発し、その島が無医村であることから泣く泣く移住を断念。

22歳の私はその後、大阪市内の日本酒専門店でフリーターをしてた。

飲みに行くのが好きで、友人とでも一人でもしょっちゅう飲みに出かけた。

2015年6月頃、偶然ネットで見つけた“外国人が集まる国際日本酒バー”の文字に目が留まり、

大学時代に英語を学び、今は日本酒屋で働いている自分にぴったりの場所だ!と直感的に思い、さっそく行くことに。

その名も“はな酒バー”

地下鉄御堂筋線・心斎橋駅の7番出口から徒歩5分。言わずと知れた大阪・ミナミの中に。

オープンしたばかりの真新しいモダンな木造りのバーは、夜の街でひときわ輝いて見えた。

金髪のお兄さんが気さくに話しかけてくれて、種類豊富なお酒が載ったメニューを渡してくれた。

もうこの時点で好印象過ぎたんですけれども。

しばらくして、イケメン欧米人2組がバーに来店。

店員のお兄さんはメニューを指しながら流暢な英語で華麗に対応していました。

イケメン「Which one would you like to drink?」

私「うわぁぁぁぁ°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」

リピ☆確定

その後、足しげくバーに通い、金髪お兄さん:シュンペイさんから色々教えてもらうことに。

はな酒バーはオープンしたばかりであること。

2階より上は素泊まりの宿であること。

USJ近くにも系列店ができるのだが、まだスタッフが決まっていなくて募集していることなどなど…

そもそもバックパッカー宿(素泊まりの宿)って何?

サービスを必要最低限に抑え、宿泊料金がリーズナブルな宿のことを指し、

バスタオル・歯ブラシなどは有料レンタルになっており、

ホテルのように部屋にもとから用意されていない場合が多い。

ドミトリーと呼ばれる相部屋があることも特徴的で、1人1泊2千円台から泊まれることも。

数十~百か国旅した同僚たちと一緒に働くことになった

はな酒バーに何度か通ううち、ジェイホッパーズの社長と出逢ったことがきっかけで、ゲストハウスで働くことに。

2015年12月5日の勤務開始日、ジェイホッパーズ大阪店の扉を開けると、20-30代の若いスタッフが勢ぞろいしていた。

顔を合わせた先輩・同期入社組の印象は強烈で

私がそれまで会ったことがないタイプの人たちばかりだった。

例えばこれまで泊まったゲストハウスは世界で100か所を超え、毎年キューバでダンスを勉強する人、

70か国以上旅行して一番最近行ったのはブルネイという人…

「この前ロシア行ったんだけどさ~」

「え、そうだったの?私が行ったときはそんなのなかったよ~」

といった具合にあたかも梅田へ行ったときのような口調で皆話すのだから怖い怖い(笑)

航空券や宿を全て自分で手配する個人旅行をしたことがなかった私は

え、ロシアってそんな皆行く場所だっけ??と完全に面食らってしまっていた。

決定的な価値観の違い

一緒に働くことになった旅の玄人たちと、臆病を地で行く旅行が苦手な私の間には大きな違いがいくつかあった。

その違いは日ごろの業務にも影響を及ぼすことになる。

4年半かけて彼らと近い感覚は取得したが、それまではお互い分かり合うことができず、相当キツイ日々だった;

私「海外旅行には英語が必須」同僚「英語が話せなくても問題ない」

外国に行く=その国の第一言語をそれなりに習得してからでないと絶対無理!トラブルに巻き込まれたらどうするんだ!?

という強い思い込みを捨てきれずにいた私は

外国語大学で外国人講師のもと英語を2年間みっちり勉強し、話せるようになった大学三年生のとき

やっと英語が話せるようになったから、英語圏の外国に行ってみてもいいかな…という発想で

自身の初海外となるオーストラリアへ3ヵ月間語学留学をした。

この時の私の発想でいくと、

韓国に行くには韓国語を、ドイツに行くにはドイツ語を、習得しなければならないことになる。

しかし、当然ながらゲストハウスの同僚たちはみんな語学を習得してから海外旅行に行ったわけではなかった。

そりゃ、そんなことをしていたら時間がかかり過ぎて何十か国も行けない(笑)

「英語?全然話せなかったよ~!でもとりあえず行ってみたらなんとかなった」

「自分の言いたいことが英語で言えなくて悔しかったから帰国してから勉強し始めたんだぁ」

という人が多く、私は信じられない気持ちだった。(言葉を話せないまま旅行に行くなんてありえない…)

だけど同僚たちのそのスタンスはとても重要であることに後から気づく。

ゲストハウスの仕事において、未知のものに挑む場面が多かったからだ。

どうなるかわからないけど、とりあえず一度やってみてから考えよう

ゲストハウスの仕事は本当に多岐にわたっていて

接客対応(観光案内)、予約管理、館内の清掃、イベント企画運営などなど…

マネージャーになるとこれに加えてシフト作成や売上金・出納金の管理なんかもしなければならない。

細かいやり方のマニュアルなんてなかったし、

どうやればいい?何が正解か?なんて、デフォルトの解はなくて、自分がやってみないと分からないから

実際に行動に移してみて、課題が見えてきたら修正する“トライアンドエラー”を実践していく必要があった。

ことわざで言う所の「案ずるより産むが易し」。

入社当時の私は、やってみないとわからないという不透明さが本当に怖くてたまらなかった;

誰かに1から10までHowToを教えてもらって、その通りに遂行したかった。まるでメカですねww

英語も日本語も全く通じないゲストが来たり。

館内清掃中にシャワールームにう〇ちを見つけたり。

予測不可能なことばかり起きる状況にいちいちビビッて疲弊して、「こんなの聞いてないよ!」とひとり憤慨してた。

いやいや、そりゃあそうだろう!何が起こるかなんて誰も知らんわ!

そういう未知の状況を笑って楽しめるスタンスは、ゲストハウスに務める中で身に着いた。

私「旅行計画は綿密に!」同僚「細かい計画はたてない」

ゲストハウスに勤務する前の私は、いざ旅行に行くとなると分刻みのスケジュールをたてないといけないと思ってた。

決められたスケジュール通りに動くことが目的になってしまって、

いつも予定外のハプニングで計画がうまくいかないと焦るし、疲れるだけで全然楽しくなかった。

次の行程に支障が出るからっていう理由で

道を歩いてて偶然見つけたレトロな喫茶店に思いつきで入る、とかしたことがなかった。

だって、旅って予想外を楽しむものでしょう?

どれだけ緻密な計画を立ててもその通りにはならない、予想外も楽しむ

ゲストハウスで「!?」っていう経験を積んでいくことで

私は事前準備に死力を尽くしてどんなに素晴らしい計画をたてたところで

実際にその通りになることは100パーないってことにやっと気づいた。

だから、予想や計画をすることをやめてみたら

目の前で起こることを「事実」としてシンプルに受け入れることが出来るようになった。

以前のようにハプニングに気が動転して頭が真っ白になることもなくなったし、

「変なゲスト来たらどうしよう…」と気負いすることもなくなった。

すぐ辞めると思っていた。しかし…

上述のとおり、まるで融通が利かない私は先輩や同僚からかなり心配されていて

私の研修期間は同期入社の2人よりも2週間ほど長く設定されました。とほほ

しまいには先輩に注意されて勤務中に泣いたこともあった(あれは完全に私に非があります;)

私自身も「この会社、わけわからんことばっか起きるし、あってないなぁ…」と長くは勤務できないだろうと思ってた。

研修を終えて、同期入社の2人とともに市内の別店舗へ所属を変える訳ですけども

年齢が近いこともあり、仕事の後に飲みに行ったりして少しずつ親睦を深めた。

自分の本音を腹を割って話すことで、自分にも見えていなかった自分自身を知ることができた。

チームメンバー同士が理解し合って、切磋琢磨して働くのがすごく楽しくなってきて

同期入社の2人が転職した後も私が最後まで残るという

それこそ誰も予想していなかった展開になった(笑)

教訓①人間関係は相互補完性

ゲストハウス時代の経験から

「誰と」働くか?っていうことの重要性は痛いほど知ったというか

人は周囲の人間関係と身を置く環境でいくらでも変わるんだ!と自分の身をもって思い知った。

根性論をかざす超スポ根の先輩

同期入社のうちの1人、ミカさん。

かわいらしい外見とは裏腹に、学生時代バレーボール部に所属していたこともあり、体育会系気質な「気合いと根性」の人。

一方で、がちがちに理論武装していた私は「気合い」や「根性」という言葉が大のニガテだったし、

そんなんで問題解決できたら人生苦労しないだろーと冷ややかに思ってた。

だからというのもあり、入社して初めの頃はあまり親しくなれなかった(苦笑)

でも研修終了後、ほかの同僚やパートさんを含めた何度も話を重ねるうちに距離が近くなっていって

(この人熱いなー!って思いながら)

2人でご飯に行っては仕事に関する熱い議論からプライベートの深い話まで、とにかく沢山話した。

自分とは違うミカさんの思考や人となりを知ることで、

今でも自分に甘い私は「気合」や「根性」は得意ではないけれども、物事を進めるにあたって超大事な要素だと思えた。

自分とは違う他の人の考え方に興味を持てるようになったし

複数人が所属するチームを運営していくにあたって「相互理解」は必須だと知った。

ミカさんがいなかったら私は4年半も同じ仕事を続けられなかったと思う!

まとめ

私は予期せず入社したゲストハウスで4年半を過ごし、人を知ることで自己理解を深めることができました。

最初こそうまくいかなかったものの、良い仲間との出会いが仕事を魅力的に変えました。

ゲストハウスで一緒に働いたメンバーは今はそれぞれ別の仕事に就き、それぞれの場所で頑張ってるけれど.

あの場所が特別である感覚は共有しているし、今でもたまに連絡は取り合う仲です。

コロナ禍の観光・宿泊業界には氷河期でとても苦しいけども

ゲストハウス時代のように構成要員たちが心でしっかり繋がれたチームを

今度は自分の手で作っていけたらな、と思っています。

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