コロナ禍に旅行者になるということ。大事な人を困らせない為に今私たちがなすべきことは何か。

こんにちは、アヤです。

結論から申し上げますと、不用意に動き回らないこと、に尽きると思います。

今更?そうですね。私も、わかっているつもりだったんです。

けれど、私は愚かにも忘れかけていたのです。

人間にはきっとよくあるのだと思います。当たり前じゃん!と言いながら、当たり前が出来てないこと。

(どうか私だけではないと言って…懇願)

だからここでコロナ禍中における行動の是非を問うつもりはないんです。

賛否両論あることは重々承知の上で、事実をお伝えすると

私は7月末まで勤めていた和歌山県某所の観光協会を退職し、8月4日-9日(5泊6日)の日程で北海道へ行ってまいりました。

結論から言うと。めちゃくちゃ楽しかったんです。

それと同時に、色々考えさせられる旅でした。

何についてか。ずばり、コロナ禍中の旅行「不要不急ではない外出」についてです。

ただただ、本心を吐露させてください。

反省文ちっくになってしまうかもしれませんが、お時間ありましたら読んで頂けますと幸いです。

いきなりですが、まず北海道からの帰路の話をします。

今回立ち寄った観光地については、詳しく別記事にまとめるつもりです。

9日13時15分、釧路たんちょう空港発のフライトは15分遅れで出発し、16時過ぎに関西国際空港へ到着しました。

釧路空港の手荷物検査場

11日からは和歌山に戻り、山あいのキャンプ場でバイトに明け暮れるお盆を過ごす予定でした。

和歌山に持って行くお土産を持参したエコバッグに詰め、

18時過ぎには着くよ~と、実家の両親にLINEを送ったところで私の携帯が鳴りました。

まさにお盆期間バイトする予定のキャンプ場の支配人Tさんからの電話でした。あれ?何かあったのかな。

「あやちゃん、今どこにおるん?」

「Tさんお疲れ様です、今は関空にいます。」

「…..申し訳ないんやけど、県外に行った人は1週間は働かせられへんなぁ」

「!!!」

こうして、キャンプ場で過ごすはずだった私のお盆のスケジュールは白紙になりました。

遡ること2週間前

私は和歌山の某観光協会で勤務しており、その日も自分が晩酌に飲むビールを買いになじみの酒屋に立ち寄りました。

そこにいたのはキャンプ場の支配人、Tさん。私はその時にTさんと初めてお会いしました。

「協会はいつまで働くんやったけ?」「7月末までやから、あと2週間で終わりです~」などと酒屋の店主と話していたら、そばで話を聞いていたTさんに「じゃあうちのキャンプ場で働かんか?」とスカウトされたのです(笑)

社長・マネージャーとの面接を経て、週末からさっそく働かせてもらうことになりました。

そこから7月末までは観光協会で働きながら、休日は近くのキャンプ場でバイトする生活を送っていました。

去年8月からの1年契約を満了する形で今年の7月末で観光協会を退職することは決まっており、

8月以降どうするかについてはずっと考えていました。「どこに行こうか」ですね。

最初は沖縄に行くつもりで…沖縄に住む知人にも連絡して、ずいぶん前から航空券のチケットも予約していました。

ところが、緊急事態宣言が発令。沖縄に行くことは断念するしかない、とそこは。

「沖縄に行くのならお盆に働いてもらうことはできない」とマネージャーにも言われていたので。

そのすぐ後に北海道行きのフライトを予約したことは、キャンプ場の方には伝えていませんでした。

一番胸に刺さったのは、「大事な人を困らせている」という事実

「ステイホーム」「不要不急の外出は控えて」

メディアを通して聞こえてくる政治家さんたちの警鐘が、どこか対岸の火事のように聞こえていました。

動くなと言うんだったら全ての公共交通機関を止めてロックダウンしたら良いのに、と短絡的な発想もしました。実際、釧路へ向かう飛行機はほとんど満席で、ルールと現状の乖離が誰の目から見ても明らかでした。

“なんだ、旅行をしているの私だけじゃないじゃん” と思った人、あの場で私だけではなかったと思う。

マスクをし、手指の消毒を心がけてはいても、込み合う待ち列の中でソーシャルディスタンスを保つのは至難の業。

そんな中、私はこの5日間で様々な人と関わり、彼らの心境を垣間見ました。

今回の旅行で出会った人物を、3人ご紹介します。

1人目は、北海道へ降り立った時、迎えに来てくれた 知人Aさん。

道路、自然、空の画像のようです
北海道2日目はAさんの運転で美瑛の丘陵地帯へ

Aさんは2年前に和歌山で初めて会って、今は道内で酪農のお仕事をされています。

しばらくぶりにお会いしたAさんは少し日焼けして、筋肉質になっておられました。

「私の職場にも連れて行きたかったし、他の知り合いにもあやちゃんを紹介したかったんだけど、時期的になかなか難しくてね」

Aさんは車中で私が渡した和歌山のお土産を食べながら悲しげに呟きました。

2人目は、滞在3日目の夜、宿の別棟にあるラウンジでPCを広げている時、少しお話した地元・帯広でエンジニアをされているという女性Mさん。

室内の画像のようです
Mさんはカウンター奥、窓際の席で作業されてました

ちょうど富良野で買ったワインを持っていたので、良かったら飲みますか?と訊いたら

「私はお酒飲めないので~でも、ありがとう」と微笑みを返してくれました。

徒歩2分ぐらいの距離にコンビニがあるから、そこでいつも買い物をしてから来ることを教えてくれました。

「コンビニすごく混んでたよ。帯広も最近観光のお客さん増えてて、それに伴って感染者も増えてきてる。札幌はきついけど帯広ならまぁいけるだろ、という発想なんだろうね…。帯広に遊びに来てくれるのは嬉しいんだけど、今は正直怖いね」と複雑な表情をされていました。

そして3人目は、お盆に働くことを約束していた、和歌山のキャンプ場の支配人Tさん(写真ない)

7月に研修をしてくださっている時から優しくて「あやちゃん!今年のお盆は長いから大変だぞー、頼りにしてるで!」と

私の帰還を心待ちにしてくださってた(と私は思っている)。

夏休みに入り、忙しさが本格化。いうまでもなく人手は足りない。皆朝から晩まで休みなく動いてへとへと。

猫の手も借りたい状態なのは間違いない。のに。

憔悴しているはずのオーナーは「お盆はあやちゃんの分も俺が働くから、その分9月からよろしく!」と電話口で明るく笑いました。

「何やってるんだーーー!!!」と大声で怒鳴られてもおかしくなかっただろうに。。。

自分の行いのせいで、目の前の誰かが困っている

メディアから聞こえてくる情報の何百倍もインパクトのある事実がそこにありました。

知っていたはずの「受け入れる側」の揺れる気持ち

昨年3月ごろから長引くコロナ禍中で、観光業界に身を置いてきた私は

「お客さんには来て欲しい、けれど、(コロナが広がる可能性を考えると)来てほしくない」

という相反する感情や葛藤を抱いてきたし、間近で感じてきたつもりでした。

和歌山に住んでいる時、自分も他府県ナンバー(親の車なので)のくせに、東京や大阪ナンバーの車を見つけてはため息をついていたものです。

5月のGW中には1日の入館者数が2000人近くになり、朝から晩まで喋り続けていたことを覚えています。

声を枯らしながら一緒に観光案内をした先輩や同僚たちは、連休の人出の急増に戸惑い、これを機に和歌山でも感染拡大が起こることを危惧していました。

おわりに

北海道へ行かなければ良かったとは全く思っていませんが、周りの人を困らせてしまった事実に気づいて

(もっと早くに気づかなければならなかったけど)

申し訳なさ・やるせなさでいっぱいになりました。

9月には和歌山へ戻るまでの間は不用意に動き回らずしばらくは実家でゆっくりしていようと思います。

腰を悪くした母親が8月下旬から入院するので、和歌山に帰るのが後ろ倒しになる可能性はありますが。

今日開幕した高校野球をテレビで見ながら父親と自宅で過ごそうと思います。

一番厄介で一番大切な、目に見えないもの

全国的なコロナウイルス感染拡大が止まりません。

ウイルスは目に見えないけれど、存在しています。

自分が感染しなかったとしても、どこかの誰かに運んでしまっているかもしれません。

高齢者の多い地方で生活をしていくならなおのこと慎重にならなければ。

免疫力の弱い人だけでなく、健康な若い人でも重症化してしまう場合があります。

今後も感染対策に留意して、日々を過ごしていきたいと思います。

皆さんも、気を付けて!ご自身を守ることが、周りの人たちを守ることにつながります。

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