熊野古道ガイド団体【語り部の会】に迫る高齢化の影。急がれる文化の継承。
こんにちはー。アヤです。まだ5月なのに梅雨空ですねぇ。
雨が小降りになっている間に!とさっき散歩をしてきました。
自宅から本宮町森林組合まで片道15分、往復で30分のちょうどいい距離なのです。
私が拠点を置く和歌山県田辺市本宮町は、熊野本宮大社のお膝元、言わずと知れた熊野の中心地であり
世界遺産の巡礼道:熊野古道と切っても切れない関係にあります。
目次
そもそも熊野古道とは?
普段山歩きをされない方でも、一度は「熊野古道」の名前を耳にされたこともあると思います。
熊野古道とは正式には「紀伊山地の霊場と参詣道」といい、京都の城南宮から和歌山の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)まで続く全長約800kmに渡る参詣道です。
その参詣道は紀伊半島全体に及び、古くから神が宿る霊場として信仰され、 古来から中世にかけては後白河法皇を始め多くの参詣者が歩いた山道です。
この熊野古道は2004年に世界遺産に登録されたことをきっかけに、観光客が増加しはじめます。また、同じく世界遺産の道である“サンティアゴ・デ・コンポステーラ”と共同でプロモーションを実施しており、コロナ禍以前はスペインやフランスからの旅行者も多く訪れていました。
↓引用元(私が執筆した記事なので、文章そのまま引っ張りましたw)
あの世界遺産「熊野古道」の宿は今…GoToトラベルの光と影:昨年超える日本人客も、全国停止で再び危機に
語り部の会とは?
熊野を目指したあまたの人々が足を踏みしめてきた巡礼道とは言え、観光で初めて熊野を訪れる人にはなかなかその本当の価値はわかりにくいものです。素人目には単なる山道としてしか映りません。(私もそうでしたし、真髄は今でもまだ全然理解できていないです、理解できる日なんて来るのか?;)
そんな時に頼りにしたいのが、熊野古道のガイド「語り部」の存在です。古道歩きのプロである語り部さんは、熊野古道の歴史や古道沿いに咲く草花の解説をしながら一緒に歩いてくれるのです。
熊野古道と一口に言っても、田辺から海沿いに那智勝浦・新宮を通る道「大辺路」、高野山から本宮大社に至る「小辺路」、田辺から本宮大社までの「中辺路」、伊勢から新宮、那智を経て本宮大社へ至る「伊勢路」等さまざまで、対応する語り部団体もいくつか存在します。
私の現在の勤務地である世界遺産熊野本宮館内では県・市の行政職員さんも一緒に働いていて
そのうちの3人が「熊野本宮語り部の会」の事務局運営を担っています。ガイドの依頼処理や経理などですね。
まだまだFAXや電話に依拠したスタイルから抜け出せず、1つの依頼に対して合計3,4回(お客さんや語り部に)電話をしないといけない。春や秋のハイシーズンには始業から夕方まで電話に追われて、事務局の人たち本当に大変そう….予約管理システム導入できたら一番いいのになぁ。
観光資源としての熊野古道
熊野古道は、2020年外国人が訪れるべき日本の観光地第一位に輝いたり、あの有名な旅行雑誌:ロンリープラネットが発表した『世界の訪れるべき観光地トップ500』にラインクイン(第83位)したり、日本を代表する観光地としての存在感をどんどん増してきています。
手つかずの自然に溢れているという点ももちろんのこと、冒頭でも触れたとおり、熊野古道は平安時代から熊野を目指した人々が歩いた巡礼道。その数百年の歴史が持つ宗教性や神秘性が人を惹きつけてやまないのです。
人々の足が都市部から郊外・地方へ足が向き始めたのはごくごく最近の話ではないと思いますが、コロナ禍が大きなキッカケになったのは間違いないでしょう。外出自粛が解けたら熊野を訪れる観光客の数はまた一気に増えるだろうと各所で推論が飛んでいます。
私の家主である山田夫婦
山田夫妻は現在私が住まわせて頂いている家の主(あるじ)です。山田夫妻についてはこちらをご参照ください。
新婚にも関わらず、私を寛容にも受け入れて下さったのです。ありがたや…。そのお二人ももちろん熊野古道と深いつながりがあり…というか、出会ったきっかけが熊野古道だし(‘ω’) 熊野古道をキューピッドとして巡り合ったお二人は、この世界では有名なのだと後から知りました。
昨日も帰宅したら、熊野学を研究しているという大学教授がお二人の取材に来ていたし;
旦那さんのよしさんは中辺路語り部の会に所属しています。現在39歳で、最年少の語り部です。高校の先生だったこともあり、ものすごく聡明な方です(ちょっと、いやだいぶ?変わってるけどww)。
学生時代から歩くのはお好きだったようで、スペインのサンティアゴも踏破されています。京都~本宮も奥様と何度か歩かれている正真正銘の『熊野クレージー』。海外に行くこともできず漂流していた私ですが、山田さん経由で熊野にまつわる素敵な方々ともお知り合いになることができました。
山田夫婦の考える今後の熊野古道
よしさんは語り部のお仕事を本当に大事に思ってらっしゃって、日夜、熊野古道のことを勉強しています。本宮語り部の会会長も編纂に加わった『本宮町史』を読み込むぐらい。
そしてその意識と知識を次世代に継承していくことを目指しています。本宮にも最近増えてきた若い移住者をスカウトせんと目をらんらんと輝かせています。こ、こわ…。気をつけろー!笑
中辺路語り部の会のホープでありながら、「最年少の座を譲って隠居したい」といつも言ってる…笑
口ではそんなことを言いつつも、語り部の会の料金システムのアップデート、語り部間の報連相ならびに依頼処理のIT化など、語り部の会のシステムを時代に則した形に再構築されようと熱心に取り組まれています。古道歩きに興味がある人たち向けに様々なイベントを企画運営されていますよ。これね、すごい。めっちゃ考えられてる。
奥様のこのみさんも熊野古道に精通しておられますが、特定の語り部の会に所属しないのは、熊野古道をいくつかのエリアで分断するのではなく、京都~本宮までを1つの道として繋げたいという志をお持ちだからです。
わかる…。枠組みを作ってしまうと、その範囲内でしか行動できなくなってしまう。もったいないし、本当にもどかしい。熊野古道って本来はもっとスケールの大きいものなはずだよね。
語り部の会の課題
本宮歴1年ちょっとしかない私が偉そうに語らせてもらいますね。
私が知る語り部の会ということはつまり、本宮の話になってしまうのですが。。。
生業にするには収入が不安定
熊野古道を歩く人が最も多くなるのは3月~5月と9月~10月。同時期に語り部の仕事も増加しますが、それ以外の時期は全く依頼がないことも。
どうしても季節労働者的な側面が否めなくて、通年を通しての安定収入を得るのは厳しいのが現状です。だからこそ、語り部以外にも稼ぎ口となる仕事がある=パラレルキャリアの構築ができることが理想です。でも、そこが簡単ではないんだと思う。
語り部の仕事を時給換算(現実的w)すると高単価ですが、これが持続しないとなるとやはり話は別。
若い人が集まりにくい要因であるのは間違いないでしょう。
もはや時代遅れなシステムを時代遅れだと認識していない
まず、お客さんが記入した依頼表を“FAX”で送ってくれます。(この段階でFAX送りましたけど届きました?という“電話”がかかってくる場合も結構ある)
送られてきた依頼表をもとに、事務局は「語り部依頼表」と書かれた分厚い“ノート”に日時・歩くコース・携行人数などを書き込みます。そして語り部さんに“電話”をかけ、スケジュールの確認をし、OKがもらえたら、お客さんに“電話”でその旨を伝えるという流れです。
私は絶句しました、、、FAXなんて言葉久しぶりに訊いたからですね(笑)
前職ではcloudbedsという予約管理システムを使っていました。語り部事務局の人に予約システムの導入を打診したところ、お金を払わなくて良いならアリかもとのこと。いや、予約システムを完全無料でGETできるはずないですよね;
せめて語り部さんと事務局の間だけでもスケジュールを共有できたら大分違うと思うんですが、、、
私が熊野古道に思うもの
数百年前の昔から、浄不浄を問わずすべてを受け入れてきた熊野。
それが後から生まれてきた人間の都合や、必要以上の決め事によって、本来の魅力が見えにくくなってしまっている気がします。時代の変化とともに変わっていくことも必要ですが、熊野を象徴する手つかずの自然は変わらずそのままでいて欲しいです。
現代なんか特に情報過多だし、自分の外的要因に注目してしまうと何を信じていいかわからなくて、無自覚に疲弊してしまっている人もきっと多いでしょう。
そんなときには、誰に何を言われた訳でもなく、毎年同じ時期に咲く草花を見ましょう。
語り部という仕事
語り部さんたちは、熊野古道の「歴史を語り継ぐ」という非常に大切な役目を担っています。
現在の中辺路語り部の会の最年少は、39歳のよしさん。一方で本宮語り部の会の最年少は46歳です。
どちらの会にも言えるのは、所属する語り部の大半はリタイア後の65-70歳だということ。80代の方もいます。本宮語り部の会会長はなんと93歳。例外なく高齢化の影響を受けています。
仮に今後10年間、若い人材が誰も参加してこなかったら、現役で語り部として活動できる人は半減しているのではないでしょうか。このまま、手をこまねいて見ているだけではマズいかも。
私がなれば、って??? うーん、考えておきましょう。