
【脱AC】他人軸だった私が自分の人生を選べるようになるまで

日々生きていると、ふと「あ、これ楽しそう」「やってみたいな」と感じる瞬間がある。
でもその直感を、そのまま行動に移せる人は、意外と少ないのではないでしょうか。
私自身、30歳を過ぎるまでずっと、“やりたい”より“失敗したらどうしよう”が先に浮かぶタイプでした。
どうしてそんなふうになったのか?原因をたどると、母親との関係に行き着きます。
母の影響で、私は“考える力”を育てられなかった
私は一人っ子で、両親や祖父母から多くの愛情を受けて育ちました。と聞くと恵まれた印象かもしれませんが、実際には母の過干渉に苦しんでいました。日々の衣服、学校の部活、習い事、進路選びまで——母が先回りして決めてしまうため、私は自分で考えて行動する機会を与えられずに育ったのです。
何かを提案すれば否定され、やがて私は「自分の考えは受け入れてもらえない」と思い込むように。
そうして本音を話さなくなり、自分の意思がわからなくなっていきました。
いつしか周囲の顔色ばかり伺い、自分で物事を決めることに強い不安を覚えるようになっていたのです。
“自分らしい働き方”に憧れた20代
大学を卒業後、私は宿泊施設に就職しました。
そこで出会ったのは、世界中から訪れる宿泊者や、海外経験豊富な同僚たち。
彼らとの関わりを通じて、親との関係のなかだけで形成されてきた私の価値観が、少しずつ揺らぎ始めました。
みんな、それぞれの人生を自由に選び、働き方や暮らし方にも多様性がある。
生き方には見本なんてないのだと気づかされた私は、
やがて“一会社員”としてではなく、自分の個性を活かした働き方に惹かれ、フリーランスというスタイルに憧れるようになりました。
“怖いことをやる”と決めた日
とはいえ、いざ現実となると自信が持てず、「自分に何ができるかわからない」という感覚に悩まされ続けました。
そんなとき、私の背中をそっと押してくれたのが、安藤美冬さんの著書『新しい世界へ』でした。
「自分自身に約束してください。「こわいことをやる」と決めてほしいのです。——本の中に出てくるその言葉が、私の心に深く刺さりました。
小さな決断が、私を自由にした
実家を離れて一人暮らしを始めたときも、フリーランスとして挑戦したときも、怖くて仕方がありませんでした。
「自分には何もできない」と思っていたからです。
でも、あのときの決断があったからこそ、私は確実に変わることができました。
それが、今の私の土台になっていると感じています。
実は安藤美冬さんのオンラインコミュニティに所属させていただいた時期もあり、
その中で直接ご質問させていただいたこともありました。
一方的に本を読んでいたのではなく、ご本人の考え方に直接触れられた経験も、私にとっては大きな財産です。
これからも私は、「怖いこと」を選び続けていきたいと思います。
あなたへの問いかけ
誰かの期待ではなく、「あなた自身」が望む選択はなんですか?
怖くても、自分のために選んでみる。
その繰り返しが、自分らしさを育てていく気がします。