本能優位に生きたって良いじゃない!VUCA時代に重視すべきたった1つの思考法
皆さん、VUCAという言葉を耳にされたことはあるでしょうか。
VUCAは Volatility (変動性)、Uncertainty (不確実性)、Complexity (複雑性)、Ambiguity (曖昧性)の略で
“変化が激しく不確実な社会情勢”を指します。まさに私たちが生きる今この時ですね。
1年、いえ数か月先ですらどうなっているかわからない。
現在、会社員として働かれている方であっても、会社が不況のあおりで倒産してしまうことだって十分あり得る訳です。
私が以前勤めていたのはゲストハウス(簡易宿泊施設)の運営会社です。
2年前までは訪日外国人客数の増加に伴い業績も上り調子で、国内に最大12店舗を有していました。
しかし、2019年春からの新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2020年6月現在、12店舗のうち5店舗(私が所属していた店舗も含む)が閉店してしまいました。
かつて一緒に働いていた元同僚の多くは事実上の解雇となり、職を失いました。
学校を卒業してから定年退職まで同じ組織に所属する“終身雇用制度”はとっくに崩壊してしまったと言えるでしょう。
VUCAの現代において「これをすれば間違いない」という絶対的な答えを外的要因に見出すことは至難の業となりました。
そんな先の見えない状況に、不安を抱えて日々を過ごされている方も多いと思います。
でも、大丈夫です。これだけをやっておけば、目まぐるしく変わりゆく状況下でも楽しく生きていけるよ!
という不安の解消方法(めちゃくちゃシンプル)をお伝えしようと思います。
※これは精神性の話であり、収入アップや経済的安定を保証するものではありません。
しかしメンタルが安定することで結果的に収入がアップすることも往々にしてあり得ます。
ズバリ、自己対話!
自分自身の外側にいる周りにいる人の声を完全に無視!総スルーし、内なる声だけに耳を傾けることです。
これ、意外と出来ていない人が多い気がします。
いやいや、そんなの空気読めないタダのわがままじゃないかー!って思いました?
すばらしい。あなたは和を重んじる生粋の日本人ですね!
皆と同じであることこそが美徳。日本の調和を重んじる風土の中で、
「周りに合わせなければいけない」「自分の意志を貫いて他人に迷惑をかけるのはよくないことだ」
という幼い時から長い時間をかけて形成されてきた意識は我々の中に根強く残っており、その考え方を容易に変えることはできないかもしれません。
ちなみにこれは皮肉ではないです。否定するつもりは全くありませんよ。他人を慮ること自体は素晴らしいと思います。
でも、よく考えてみてください。
自分の純粋意欲にフタをし、周りの顔色を伺いながら生きていくことが果たして本当の幸せだと言えるでしょうか?
自分が本当にしたいことは何かを常に問い続ける
「自分の思いをハッキリ口にすることはないけれど、察してほしい!」
なんてもし誰かに言われたら、何だコイツ!めんどくさ!と思いません?(笑)
自分とは違う他人の考えなんて、わかるわけがない。ちゃんと言ってもらわないと。
「私は〇〇だと思う」「○○が好き/嫌い」と先に表明してくれると、それ前提で話を進めることができるから効率的なんですよね。
「この人は本当はどう思っているんだろう…?」という余計な勘繰りをしなくていい。
わがまま=意思表示 だとすると、相手を尊重した上でのわがままはむしろ親切ですらあるのです。
だけど、日頃から自己対話をきちんと行っていないと、自分のことすらよくわからないという状況に陥ってしまい、意見を求められても煮え切らない回答しかできなかったりします。
前述したとおり、それって相手からすると面倒くさいんですよ。
自己理解を深めるために具体的に何をしたら良いか、その結果どんな良いことがあるか詳しく見ていきましょうか。
方法:1人きりになれる時間を確保する
私は自分=誰よりも近くにいる他人、いつでもそばにいるパートナーのような存在として、自身の肉体とメンタルを切り離して見ている節があります。
そして、その他人をいかにして楽しませてあげるかを考えることが、人生のキーだとも思っています。
パートナーはシャイで、大人数だと本意を聞かせてはくれません。なので、誰にもじゃまをされず、“自分=パートナーと2人きりで” 対話する時間と場所を定期的に確保する必要があります。
出勤前や仕事の後の30分~1時間でも、1人きりでコーヒーでもしばきに行く時間を作るのです。誰も知人がいない場所で、自分自身に目を向けるのです。内省傾向の強い人ならわかってくれると思いますが…。
私は大阪時代はスタバやタリーズコーヒー、和歌山に来てからはコメダ珈琲で自己対話を重ね、自分のあり方や今後どうしていくべきかを絶えず協議してきました。
空中を見ていなくても、pc画面を見ていたり、読書をしながらでも自己対話をすることができます。
悪魔のささやきに注意
自己対話における注意点としては、せっかく芽生えた意欲の芽を、“悪魔のささやき”が摘もうとすることです。
例えば「そんなこといくらやったって無駄さ。」「医師になるなんてあんたの学力では無理。できっこない。」「もう30歳なのに今更始めたってもう遅いよ。」という風に。
変化に伴うリスクを恐れるのは、あなた自身ではなく怖がりな悪魔くんです。客体化してしまいましょう。そして、「心配してくれてありがとう、でも私はどうしてもこれがやりたいの」と悪魔くんをなだめ、安心させ、説得するのです。
自己対話を重ねると悪魔くんはあまり話しかけてこなくなり、自分の意欲が見えやすくなってきます。
自己対話の先にあるメリット
自己対話がうまくなってくると、VUCA社会に生きる上で重要なスキルが身に付きます。
自分の感覚に敏感になり、選択を見誤らない
理由はうまく説明できないけど、なんとなくこれいいな~とか、逆になんとなく嫌な感じするな~という感覚を、覚えたことがあると思います。
それ、だいたい正解なんで、従っちゃって大丈夫です。
アツアツの鍋に手が触れたとき、反射的に手を引く脊髄反射という現象を例に出します。
通常は、触れた手から伝わる感覚により脳が「熱いから手をひっこめよう」と判断をくだして、その指令が中枢神経・運動神経を通って手を鍋から離します。でも、めちゃくちゃ熱い鍋に触れた時に同じ順路で指令が回路を辿るのを待っていると、その間ずっと鍋に触れている手は大やけどをしてしまいます。
なのでスピーディーさが求められる時、脊髄が脳の代わりに判断を下して、無意識に手を動かすのですね。(この時、脳は何の判断も下していません)生物に備わる危機回避能力です。
「なんとなく」の感覚が訴えているのは、脳内思考の面では気づいていない何かがすでに発生しており、触覚が何らかのサインを出している状況なのです。脊髄の段階でそれに察知してすばやい行動(鍋から手を離す)に移せないと、気づいた時にはもうタイムオーバー(大やけど)になっている、なんてことになりかねません。
すごい速度で変化していくVUCA社会では、問題が顕在化し、脳がはっきりそれと認識できるようになった時には手遅れという場合もよくあります。
だから、自己対話の精度を上げれば上げるほど、理屈で説明できない「なんとなく」を判断基準に据えることで、今なにをすべきか、どの道に進めば良いかの判断をミスることはなくなってきます。
「本当の仕事」にも書かれてます
“悪魔のささやき”に関することは、コーチングの第一人者、榎本英剛さんの著書「本当の仕事」に詳しく記載があります。自分が感覚として持っていた部分をわかりやすく文字化してくれていて、あっという間に読んでしまいました。将来に漠然とした不安を抱く方に是非読んで頂きたい一冊です。
まとめ
どんな天才でも、数年後、数十年後の正確な未来を予測することは難しいでしょう。
凡人にはなおのこと。どれだけ頭をひねったところで、わからないものはわからない。
一世を風靡した大スターが、数年後にはtvから姿を消していたり。
どれだけ目を凝らしても何も見えないそんな時、自分の感覚を頼りに生きれるようになれば
未知の事象に対する恐怖心も多少は和らぐのではないでしょうか。
楽しそうに生きる人は美しい。自信(自分を信じる力)を持って生きていきましょう!